2015-02-26

卒業プロジェクトが幕を閉じた。






久しぶりの更新です。





卒業プロジェクトが終わりました。

テーマぎめを始めた11年の春からだと二年間続けてきた卒業プロジェクトが昨日三日間にわたる最終発表で終わりを告げました。

正直なことを言うと、卒プロにかけていた労力と時間が大きすぎて終わったという実感が湧いていません。それでも何かから解き放たれたという開放感をここ数日間は味わっています。


振り返ると本当に長い卒プロだったと思います。2年もの間いつもどこかで卒プロのことを考えていました。やる気がないときも卒プロの存在は肯定していたのだと思いますし、どんなに忙しい演劇の期間中でも頭の片隅のどこかには卒プロの”そ”の字があったと思います。そんな卒プロが終わった今がとても不思議な感じです。

ここで私が卒業プロジェクトで何に取りくみどのように進めたのかということを全く知らない人のために紹介したいと思います。

11年生の春にテーマ決めの面談が始まりましたが、私はなかなかテーマが決まりませんでした。というのも、やりたいこと(テーマになり得ること)が多かったのと、テーマぎめを将来に繋がるものかもしれないと重く考えていたからです。
候補として出ていたのは「登山」「映像」「写真」「雑誌を作る」でした。(他にもありますが、長くなるのでカット。笑)
面談を重ねてもなかなか決まりませんでした。今から思うとあれが第一関門だったのだと思います。面談を重ねるごとに私はあることに気が付きました。それは全てのテーマに共通していたのが”人”というキーワードだったことです。山ももちろん好きだけど、山で出会う人に惹かれていたのです。
こうして私は”人に出会う”というテーマでテーマ発表を終えました。さて、みなさんは”人と出会う”というテーマを掲げていた私が始めに考えていたことはなんだと思いますか?
単刀直入に言うと、「これからなにしよ.....」です。(笑)テーマ発表を先延ばしにしたような抽象的なテーマだったので、どうして進めていけばいいのかが分からなかったのです。
何かやらないと始まらないと思った私は幼年期を過ごしていた台湾に秋休を利用して旅に行くことにしました。
食いしん坊の私は昼も夜も市場に行きました。庶民的なグルメがたくさんある市場は私のお気に入りの場所の一つでした。









台湾から帰った私は体験したことをZINEにしました。
ZINEというのはMAGAZINEの語尾からきているもので、手軽に自分を表現できる手段として 60 年代に米国で生まれ、90 年代に西海岸を中心に流行しました。基本的には雑誌と同じように人になにかを伝えるときのツールとして使われます。私はもともとデザインに興味があったとこもあり、ZINEを知ったときすぐにその魅力に惹かれました。一度はZINEをテーマの軸にすることも考えましたが、ZINE自体に中身は存在していないので諦めました。


これが初めてのZINEです。








 年が明けて1月が終わり2月になりました。私はこの時まだテーマの軸を見つけることが出来ておらず、今振り返ると卒プロを通して一番つらかった「卒プロを辞めたい」と思った時期でした。周りで着々と進めている友達を見ていると自分の力の無さや劣等感を覚えました。”人に出会う”というのは他人なしではなにもできな、つまりこのプロジェクトは自分ひとりじゃどうにもできないと思ったのです。自分のテーマに自信を持てず、不安ばかりがつのりました。そんな時に私は楽しかったZINEづくりの事を思い出しました。もう一度ZINEを作ってみることでなにか見えてくるものがあるかもしれないと思ったのです。
 前回ZINEを作った時に人と関わることがあまり出来なかったのでこの時は人と関われるように”インタビュー記事”をZINEにまとめることにしました。ZINEのテーマは「暮らし方・生き方」だったので、京都のシェアハウスと演劇のワークショップで学校に来てくださったデイビット先生にインタビューしました。デイビット先生は自分の身の上話を交えながらどのような時に”生きている”実感を持つかということを話して下さいました。この時デイビット先生が言われた「経済的安定=幸せ」ではないという価値観にすぅーっと引きこまれました。人に出会う場所を「全く違う文化や歴史価値観がある場所」にするのがいいかもしれないと思いました。


【ZINE~Just being alive isn’t interesting~】






そんな時に私は先生の紹介である卒業生の先輩の事を知りました。彼女はインドの山奥に行った事のある方でその時の体験を私に話して下さいました。「山間の村に伝統的な暮らしをしている人が暮らしているよ」と聞いた時に私はここしかないと思い、そこに行くことにしました。


こうしてラダックと出会ったのです。




ラダックは北インドのヒマラヤ奥地にある標高3500m以上の地域のことです。


 私はラダックの中心地から車で凸凹道を通って7時間ほど行った所にある村々を転々とホームステイしながらラダック人に出会いました。町から離れたラダックの村には電気や水道といった私達が普段当たり前に使っているものが存在しません。私はこれまでに体験したことのないような暮らしに触れたわけですが、はじめのうちは驚くことばかりでした。ハヌパタという村でホームステイしていた時に不思議なことがありました。ある朝私は子どもが叫ぶ声で目が冷めました。何が起きているか分からずしばらく窓の外を眺めていると斜面の上の方にある家の屋根の上から他の人の叫ぶ声が聞こえました。後から聞くと「バターが足りたいんだけど、だれかない?」とか「今日は学校何時からはじまるの?」などと叫んでいたそうです。家が密接して建っていてるからこそできることであるとともにコミュニティーの繋がりの深さを実感した瞬間でした。また他の村でホームステイしてた時のことです。家には生後6ヶ月くらいの子どもがおり、毎日代わる代わる違う人が子どもの世話をしにくるので、はじめのうちは誰が家に住む人なのかが分かりませんでした。コミュニティー全体で子どもを育て上げてくことがラダックでは伝統的に行われているのです。

 また、ラダックには時計がありません。そして時間感覚が明らかに違います。なんでこんなに一つの事に時間をかけているのだろう…便利にしたいという気持ちはあるのかな?そもそも「便利」という言葉はラダックにはないのかもしれないと思うような普通に考えたら不便な生活だったのです。でもそこにはいつも笑顔がありました。これってなんだろうと考え続ける日々でした。待ち 合わせの時間を”太陽が一番高いところにある時”というふうに決めるのだと聞いた時は笑ってしまいました。



2つ目に滞在したフォトクサル村を初めて見た時には、言葉ができませんでした。崖の斜面の危険な場所に集落があったのです。生活のため、生きるために平らなところを大麦を栽培するために使い、自分たちは少々危険な切り立った崖に住んでいる。生きる優先順位からしたら食べ物が大事なんだと納得することができました。
また、この時ホームステイをしていた時にトレッカーに出会いました。彼女に大学のことで迷っているということを話すと自然の中に行って目を閉じたらなにか分かるよと教えてくれました。自然の中に行き目を閉じると不思議と涙が溢れ出てきました。



 





ラダックから帰国した私はそれ以降の活動を2つに分けることにしました。
是非この世界をみんなに紹介したい。大きい問をもらったのは事実だけれど、この素晴らしい地域のことを一人でも多くの人に知ってもらい、共有したいと思いました。そこで写真展と講演会をすることにしたのです。
人と関われるイベントをすることも絶好の機会だと思いバザーでの展示とTANADAピースギャラリーでの写真展を開催しました。







中日のイベント「〜ラダック料理を食べよう〜」で作ったモモwithトゥクパです。



伝える【アプトプット】すると同時に、ラダックの豊かさはなんだったのかということの答えを見つけるための次のアクション【インプット】をしたいと思いました。人々のあの幸せは「ラダックだから成り立つ」というふうには片付けたくない、なにか絶対にあると思う部分を自分の中で探り当てたいと思ったのです。こうして訪れたのが大分県の安心院町でした。安心院町でも悩む日々が続きました。

あれはラダックだったから幸せだったか~?いやでも、ラダックにも問題はあります。例えば、村に学校ができたことです。西洋の教育が入って来る前のラダックで伝統的に行われていた教育というものは祖父母や家族、友達から学ぶことでした。例えば種まきを手伝いながら村のこちら側が暖かくてあちら側は寒いということや、家を建てることを手伝いながら建築法を学んでいたのです。 しかし現在の教育はインドの他の地域で行われている教育と同じになりラダックらしさが何一つないのです。
私が滞在したフォトクサルという村の郊外に公立の高校がありました。寮制で月曜日~金曜日までは親元を離れて暮らしているのです。将来村に住む上では全く必要のないことを学ぶことで、伝統的に受け継がれてきた技術を失うことになるのではないかという不安な気持ちがあるのです。

 帰国後安心院町を訪れて私は重要なことに気づきました。それは、そもそも私が”豊かさ”と表現していることが抽象的で自分でもよく分かっていなかったということです。豊かな暮らしの定義は人それぞれ違うと思いますが、私自身がよく分かっていなかったのだと思います。そこでラダックで感じた豊かさが何かということを掘り下げるところから始めることにしました。それを考えた時、真っ先に思い出したのがゆっくり流れる時間の中で暮らしている人々の姿でした。


私達は今日よりも明日、明日よりも明後日、今年よりも来年、と未来が良くなるように今を生きていると思います。一方でラダックの人達は必要以上の物を求めません。これは決して、ラダックの人に物欲がないといっているわけではありません。ただ今この瞬間の幸せが明日も明後日も、来年続けばいいと思っているのだと思いました。

ラダックで感じた豊かさを具体的に見つけることができない中、私は三重県の山里にある”NPO法人懐かしい未来”というところにお話を伺いにいきました。
NPOの代表である山田さん【仮名】は出来る限り自然と共生しながら自給自足の暮らしを営んでいる方です。ご自宅には足踏み脱穀機や手創りのかまどがありました。山田さんの日課は一日分の水を井戸から汲むことから始まるそうです。
私はそんな山田さんに里山ぐらしをする中で感じていることなどを聞かせて頂きました。ひと通り話を聞いた後に裏山の薪を割る作業も手伝いました。私は斧を持って薪を一本一本丁寧に切っていきました。その時にふと思いました。『この時間…これって…どこかで体験したことがある…ラダックだ!』今切っているこの木はお湯をわかすために切っていて、そのお湯は私達が生きていく上で欠かせないものなんだ。自然から頂いた木をこうして体を使って切っていく作業が”生きる”ということに直結していて、それを実感できた瞬間がとても豊かな時間なのです。その時に感じた感覚はラダックで私が夜ご飯に使う野菜を手作りのナイフで切っていた時の感覚と同じだったのです。これまで考えていたことの全てが糸がほどけるように解けて整理されていくのが分かりました。お湯をわかすというこの一つの行為でもラダックでは家畜の糞から火をおこすため30分以上の時間がかかります。一方で私が家でお湯をわかすのにかかる時間はわずか5分です。残りの25分の間私達は何をしているのでしょうか?時間がかかってもその25分間をお湯をわかすための時間に当てることが私には豊かだと思えるのです。
ドイツに行った時も土曜日の午前中でスーパーが締まってしまうため、それまでに買い物を済ませました。すると土曜日の午後と日曜日を好きなことをして過ごせるということも思い出しました。
また、11年生の時に行った台湾で体験したことも思い出しました。私は溝で洗濯物を手洗いしているおばさんに「どうして洗濯機がある便利な時代に手で洗うのですか?」と聞きました。するとおばさんは笑顔で「時間はかかるけど、こうしてみんなでおしゃべりしながら洗うのが好きなんです」と答えてくれました。その意味はその時にはよく分かりませんでした。しかし、ラダックで自分の洗濯物を川で洗うことがあり、おばあちゃんの言っていたことがよく分かりました。機械で済ませてしまえば一瞬で終わりその間他のことができるかもしれません。けれども、自分の手を動かして、いろいろな事を考えながら作業することは豊かな時間の流れ方だったのです。
人それぞれ豊かだと感じる瞬間は違うので一概にはいえないと思いますが、私が豊かだと感じたのは、「自分が大切だと思う事に時間をかけられる環境にいる」ことです。
私は将来、ラダックのように物を作る人つまり生産者とそれを受け取る人、消費者が近いところにいるような生活を山里でしたいなと思っています。
また、私にとって豊かな時間とはなにも考えずに季節の移ろいを感じながら散歩をすることです。自然の中を風にあたりながら歩いているとすーっと気持ちが楽になり、空を見上げると嫌なことも、全部忘れることができるのです。

 卒プロ全体を振り返ると私にとってラダックに行ったことはとても大きなことでした。私の今の年齢で新しい人や新しい世界、生き方があることを体感できたことは大きな財産になっていると思っています。将来やりたいこと、これからずっと考えていきたい問が自分の中に生まれたことも卒プロを通して得た大きなことだったと思います。
ラダックに行ったことは間違いなくこの卒プロにとしても自分自身にとっても大きなことでした。しかしもっと大きかったことは薪割りをしていた時に得た感覚でした。もしかしたら当たり前の事に気づけたこの瞬間こそ、この卒プロの中で一番大きな出来事だったのかもしれません。私のプロジェクトは薪割りに集約されていると言っても過言ではないかもしれません。

また、私はこれまでずっと自分のテーマに自信を持てずに卒プロを進めていました。卒プロで自分が本当にやりたいことってなんなんのだろうと思った昨年の2月に立てた卒プロ最大の目標が「自分自身の卒プロに自分が満足すること」でした。様々な候補があり「人と出会う」という漠然としたテーマにしましたが不思議なことに今全体を振り返るとテーマの候補として出ていた「登山」「映像」「写真」「雑誌」など、その全てをすることができたと思います。
これもいろいろな方々に協力して頂いたから実現したのだと思います。私をインドに行かせてくれた両親や応援してくれたクラスメイト、先生、そして写真展の開催をバックアップしてくださったピースギャラリーのオーナー、NPO法人懐かしい未来代表の山田さん。お力添えを頂いた全ての方に感謝を述べてたいです。本当に本当にありがとうございました。

こうして私の卒業プロジェクトは終わりました。今、振り返って最初に出てくる言葉は”楽しかった”だと思います。いろんな事があり、正直にいうと発表にも悔いが残っていますが、そんなことはとても小さなこと。
この学校に卒業プロジェクトというカリキュラムがあることに感謝するばかりです。自分の内面と向き合うこと、自分を知ることをさせてもらった2年でした。



ありがとう。









1 件のコメント:

  1. シュタイナー学校生2015年3月22日 18:47

    覚えてらっしゃるかわかりませんが、エミル君から「ラダック」という名前を聞いたことをきっかけに、6月から5か月ラダックに行くことにしました! 

    返信削除