ちょうど一週間前の日曜日、僕らは
優勝という目標に挑み私学交流大会を戦っていました。全力を尽くした結果は残念ながらベスト4でした。以下ベスト4のチーム(シュタイナー、立命館、同志社、成章)。
僕にとってはこれまで約6年間続けてきたバレーボールをすることから引退するということはとても大きいことです。特に最後の一年間は自分の
生活がバレーを中心に回っていたこともあって、それがなくなると生活のリズムが崩れますね。
放課後、青空の下必死に第二グラウンドに走っていく後輩たちの姿を見ている自分が引退した事を客観的に感じます。それはとてもさみしく感じる一方、これから彼ら彼女らがどのような濃い一年を送り、あの舞台で勝ちを掴みとってくれるか楽しみでもあります。
振り返る
この学校にバレー部ができた当初から僕はバレーボールに興味を持ち始めました。第一グラウンドでボロボロのネットを挟んで男女混合でバレーボールをする先輩たちを幼い僕は横で得点を土の上に書きながら見ていました。
それから時はながれ僕は6年生になりました。いろいろなクラブを見学すべき期間から他のクラブはそっちのけで毎日第二グラウンドに行って準備をしていました。なにも考えずにただバレーボールが楽しいから、先輩に会いたいからという心の反面もあった気が今はしていますが。笑 あの頃は毎週金曜日にウエルサンピアの体育館で練習もありました。学校が早く終わる僕らは第一便のバスで体育館に向かいコート設営を急いですましていました。このあとからの時間が僕がもっとも楽しみにしていた時間です。それはあっちゃんと対人パスをすることです。あっちゃんとは仲が良かったので、無理やりな部分もありましたが、バレー部に誘い一緒に行っていました。当初の彼は勝負事が嫌いで、部活に入るのはいいけど絶対に試合にはでないといっていたり、スパイクよりレシーブが好きといってレシーブの練習ばっかりしていたり、、とても変わっている存在でした。
7年生になると初めての後輩たちが入ってきました。7年生の時の記憶はあんまりありませんが、福知山に遠征にいったりしましたね。僕らはバスでは連れて行ってもらえなかったので、電車で3日間続けて毎朝行っていました。
8年生初めての全国大会へ ユニフォームはもらうが出場機会はピンチサーバーでの一回でした。全国大会の空気を味わえただけでも大きい収穫やったと思うけどね。
低学年の頃は毎試合「勝ちクッキー」っていうクッキーの上に「勝」ってチョコレートで書いてあるクッキーを作ったりしてたよな。なんか思い返したらいろんな事をした、「一球入魂」ってクロスステッチで編んだ大弾幕(小弾幕?笑)もうちのクラスで作ったしね。
11年生の6月にあったヤング全国大会の京都予選では敗れたけど、優勝したチームからうちの選手が2人呼ばれて、その中の1人が僕だったりして...笑 僕の一番大好きな背番号11をもらえたのもなんかの縁だったのかも。一日目はピンチサーバーだけだったけど、2日目はこの全国で優勝経験のあるようなチームのスターティングメンバーとして出させてもらったり、ほんとに僕を出してくれた監督に感謝しかないよ。結果は悔しさの残る3位......。個人的には十分すぎる結果やけど、チームメイトはまったく満足してなかった。あのチームは全国で優勝できるだけの実力あったしな。
ここからは最後の一年間を振り返っていきたいと思います。
4月に世代交代がありそこから地道な練習が始まりました。夏休みは朝早くからほぼ毎日練習を行い一夏超えて1人1人がちょっとづつレベルアップしたように思います。9月〜11月には副詞実習や労働時間、また文化祭やバザーがありまとまった練習を行うことはできなあったように思います。冬休み直前には一回目の合宿がありました。曽爾高原で行った合宿は収穫もたくさんありましたが、最終日に行ったOB戦で象徴されるように、個々がばらばらしているような感じがありました。この時にはまだ、決まり事(誰を中心に攻めて誰を中心に守るのか)ということがはっきり決まってなかったのが大きな原因だったでしょう。
正月のはじめの練習では痛い経験もしました。一緒にスノーボードに行った後輩が練習に来なかったので、全員一緒にスタートを切ることが出来ず...、チームに迷惑をかけました。
1月もあっという間に終わり、2月に入ると目標が近づいてきて、相手に求めるものがより多くなり、難しい問題もありました。個人の問題をチーム単位でカバーしていく作業に入って行きました。3月になり春休みには2回目の2泊3日の合宿がアクトパル宇治で行われました。この合宿の最後に行われたOB戦では前回の合宿とは大きく違いチームとして戦えるように一人ひとりの役割がしっかりしていました。OBから数セットをもぎ取りとてもいい形で合宿を終えることが出来ました。
次の週に僕らは男子だけで名古屋に遠征に行きました。正直この名古屋に行ったことでチームとして数段レベルアップしたように思います。名古屋では東海学園の先生がたのお力で3日間いろいろなところと試合ができました。ケタ違いの強いチームと戦ったことによって目が肥えました。返ってきたあとに今まで押されていたチームに圧倒することができたのです。僕らが思っている以上に自分たちは強いと思えた瞬間でした。
春休中にほんとうにいろいろな方々の力によって試合をできたことに感謝します。
学校が始まってからの一週間はチームを落とさないための調整練習が続きました。
そして今日から1週間前に僕らは大舞台に立ちました。午前中は3勝1敗の2位通過で決勝トーナメントに進みました。決勝トーナメントの戦いは午前中とは全く違う高いレベルで試合を運ぶことができました。準々決勝の対戦相手は洛星でした。ここに良い流れで勝利し準決勝で相対したのが予選リーグで大差で負けている同志社。
この試合は序盤からシーソーゲームで大混戦になりました。取っては取られての展開...今までほんとうの意味で試合中にあまり感じれないことをこの試合では強く感じました。それは
「バレーボールは楽しい」ということでした。ほんとうに最後の試合は楽しかった。負けたのはまじで悔しいけど、やれる事は全部出しきったし、最後まであのボール追いかけれてよかった。一球一球に対してあんなに喜びを爆発させて、ガッツポーズができたのは初めてだったし本当に嬉しかったです。21-24の場面でぜんえいのポジションにいた僕の目からは勝手に涙が出てきました。試合が楽しすぎて体が反応したのかな、男子バレー部のみなさん、最後にあんな心の底から興奮して楽しめる試合を一緒に戦えて本当嬉しかったです。6年間で一番の試合をありがとうね。
「最後の試合」
自分を大きく成長させてくれた、それがバレーボールです。
最後に今まで支えてくださった顧問の先生,遠征先でお世話になった先生方,OB,チームメイト,クラスメイト,そして家族、みなさんほんとうにほんとうにありがとうございました。